航海日誌 Log Book  (航海士時代の日誌)
             
INDEX
初めて乗船する
長い1日
いざ出航
海原へ

     昭和58年11月 初めて乗船する
就職試験に落ちた私は就職先を再度探す為に、学校の教官へ
「どこか就職出来る所はないですか?」
と問い合わせた所、
「後日連絡するよ」との答えだった。
2、3日後に電話が鳴り、
「いい所があった」と教官から連絡を受け、
「面接で来て欲しい、詳しくは会社から連絡があるよ」と四国のS船会社を紹介された。
まあ、これで就職もとりあえずOK、もう12月になったので乗船は来年だろうな、これで一安心!(9月で卒業したから・・・)
しばらくしてから、
「10日後に会社に来てくれ、着いたら駅の近くだから向かえにいくよ」と会社から電話があったが、だが、その2日後に
「1週間後に船に乗ってくれ、乗船はカナダのバンクーバーからなのでパスポートがいるよ、パスポートは持ってないよネ、・・・
じゃ手配するから一度東京の支店まで行ってくれ
あ、一人ではないから心配しないで、もう一人いくから」
その時はハイハイと答えていたが、電話を切ってから、
 え!
面接せずにカナダから乗船、飛行機に乗る??
何持っていけばいいの?
めまぐるしく頭の中で色々な事を考えながら一度東京までいった。
 ※当時1週間でパスポートは取れなかった
東京駅を下りて地図を頼りに雑居ビルに入っている支店へ行き、すぐに手続きが始まった/船が欠員で航行中なので特例で短期間で取れるとの事
手続きも終わり、自宅に戻ってバタバタと準備をしていると、あっというまに行く日となった
飛行機は初めて、なおさら海外は初めて、バイトはやったことはあるが仕事となるとこれも初めて、そういえば本社の人とは合っていないし面接はよかったのかな? まあとりあえずは行きましょうといった感じでいざ出発!!
東京駅で支店の方と会い、もう一人一緒に飛行機に乗る船員の方とも合い、皆で成田空港まで行った
慌しく飛行機に乗ったという感じで、支店の方を残して成田を飛びたった
日付変更線を越えてカナダのバンクーバーへ無事着陸
出口でエージェント(代理店)の方と合い、船まで車で移動
そういえばここは雪が降ってかなり寒い、日も暮れてきて寒さも一段と身にしみてきた。
途中、エージェントとから、「何か買い忘れたものがあるか?」とあったが、???と思っていた所、一緒に来た人から「ラジカセはあるか?暇つぶしにはいいよ」とあったので、早速電気屋さんによって調達。
やっと自分の乗る船が見えてきた
9,000トンの貨物船が雪化粧の中で、荷役のライトを浴びながら雄祐しく岸壁に接岸していた。
船のタラップ目の前にして、これから船の世界に入っていくんだな・・・
やや緊張気味に一歩一歩登っていった。

    
昭和58年12月 長い1日
「こんばんは」と5、6人いる作業室に通され、「今度新しく入った三等航海士だよ」と紹介があった、もう一人の方はもうすでに何回か来ているので久しぶりといった感じで直ぐにとけこんでいった。
直属の上司となる1等航海士(1/O)より簡単な説明を受けて、今晩はゆっくり寝れるかなと思ったところ、1/O(チーフオフィサー、略してチョッサー)より「あと30分くらいしかないが、20時から当直に入ってくれ」・・・
え・・・仕事(歓迎会とかは無いとは思っていたが)
「欠員できているので頼むわ」
遊びできたのでないからと思いつつ・・・前途多難だな〜と第一印象と同じく最後までこの船が一番大変だった。
部屋に案内され中は思ったより広いと思った、ベット(学生時にはボンクと呼んでいたが)と机、ソファーに洗面所、ロッカーがあり、腕を振りまわしても壁にギリギリ当らない広さだった。
簡単に荷物を解き、作業着に着替え急な階段(船の階段はどこでも狭い、但し手すりは時化の為、必ずあるので嬉しい)を下りて再び元の場所へ
航海士と操舵手(QM)とはペアで当直にあたるとの事で、なんと一緒に来た人とペアとなった(丁度親父と同じくらいかな?)役職では私がQMに命令する立場であるが、初めは分からないので教えてもらう事になる。
荷役中の当直なので荷役現場へ、木材を積んでいているので船倉の中でもフォークリフトが走りまわっていた。
港の責任者と合ったり、喫水の確認、ホーサー(岸壁に繋ぐロープ)の張りとかのチェックをいろいろと教えてもらい、慌しく時間がきて終了。
この後QM(クオーターマスターと呼ぶ)とビールで乾杯、長い長い1日がやっと終わった

昭和58年12月 いざ出航
荷役は本当に忙しい、停泊中に接岸料はかかるし、時間が決まっているので出来る限り早く港から出なければならない。
航海士の仕事の中にはもちろん荷物を積み下ろしする荷役作業を見ていかなければならない、1/Oが総指揮で、2等航海士(2/O=セコンドオフィサー、略してセコンドッサー)と3/Oの二人で荷役を担当、オールナイトの場合は半日が仕事となります(荷役が休みの日はあまりなかった)
ちなみにオールナイトの場合、1/Oはベットに入る事はなく、作業服を着たままソファーで仮眠を取っていました。
2〜3日で荷役が終了、出航に備えて船倉のハッチを閉める作業があり、喫水や海水の比重を確認して荷物の重量計算はなんとかクリア、いよいよ出航
3/Oの出航の担当はブリッジ(船橋)、1/Oは船首、2/Oは船尾を担当します、キャプテン(船長)はもちろんブリッジです、あとはQ/Mがいます。
出航前にブリッジへパイロット(水先案内人)が乗りこんでいざ出航。
・・・・・荷役中の会話もそうですが、英語は苦手、何回も聞きなおしてやっと理解、「おまえら日本語を話せヨ」と言いたいけど、向こうからみたら私が外国人、その前に「何で航海士になったの?」と聞かれると 「う・・」 そうですよね、外国を渡り歩いているのに英語は必要ですよね...でもせめて航海日誌は日本語で書きたかった(公文書となり、1日1ページでもちろん全て英語です)・・・
港から出る時は必ずパイロットが必要、港を出るまでの指示はパイロットが取ります(最終責任者はキャプテンですが)
要請されたパイロットが乗船して、元気よく「ハロー」
パイロットは気さくな人が多い、面白い人も多いです、短時間で集中した仕事となり、時化の時など危険な場合もありますが、ほとんどは元キャプテンの経歴があり、船のことに関して精通しています。
3/Oの出航時の仕事はパイロットの指示を各部署へ伝達(もちろん英語です)する事です、指示は必ず復唱して伝えますが、なまりのある英語の場合は大変です、本当に分からないです。
パイロット以外にタグボートと呼ばれる港湾中の船をサポートする小型船(馬力は大きいです)が通常1隻ないし2隻います。タグボートの指示は直接パイロットが取り、知り合いが多いのでほとんでツーカーの間柄です。
「デッドスローアヘッド(微速前進)」、「ハーフアスタン(半速後進)」などの速力の指示、「ハードポート(左35度/取り舵一杯)」、「ミィジップ(舵中央)」、などの舵の指示、「ヘッドラインレッコ(船首綱離せ)」の綱の指示等があります。
今回初めての出航の時には2/Oが臨時でブリッジに上がり、いろいろと教えていただいた。パイロットとのやりとり、VHS無線でポートレジオ(港湾局)とのやりとりなどやること初めてばかり、これから担当していくんだなと必死に頭に叩き込み、パイロットが下船するまで緊張しっぱなしの時間であった。
港の狭いところや航路ではブイなどで目印があり、その中を通ってようやく港から出て、パイロトが「もうこれでOK、よい航海で」と言いつつパイロットラダーと呼ばれる綱と板で出来たステップで下船(パイロットラダーの位置は、うねりがあっても上下するのが少ない船体の中央の風下側に設置する事がお決まりです)
パイロットが下船すると、キャプテンが直接指示、危険がないことを確認して、航海士に引継ぎます。
さて、これからは航海士の本番の仕事、次の港へキャプテンがチャート(海図)に引いた進路に合わせていざ出航

昭和58年12月 海原へ
バンクーバーからはいきなり外海ではなく、奥にある港なので出るのに航路に従って船を進めていった。
ヨーロッパへ向かう進路なので、米国西岸をチャートに引かれた航路に沿って南下、わりと船舶が多くなかなか気が抜けないワッチ(当直)である。
米国西岸の大都市の横を通る時にはテレビが写るが離れると見れない、ラジオもわりと聞こえるが岸からかなり離れると聞こえない、娯楽といえば中でマージャンやお酒、ビデオや読書などである。
航海中の仕事も少しは慣れてきて、メキシコ沖にさしかかった頃に大晦日
もちろん、盆、正月といえども船は一時も休まなくて通常のワッチが続く
但し、新年を迎える引継ぎの時(24時に3/Oから2/Oに交代)に2/Oより
「もう直ぐ新年だよ、除夜の鐘は鳴らないが、新年から1分間は汽笛を鳴らすんだよ、時間がきたら鳴らしてね」と言われ
船の新年はこんなものかなと思いながら、長々と汽笛を鳴らした。
丁度、向かいからも船が来ていて、船の無線(VHF)で「ハッピーニューイヤー」とお互いに祝いあった
又、正月料理があると言う事で、Q/Mと一緒に祝って静かな正月であった                            (つづく)

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